Getting Things Done!

大きな夢は目の前にある1つ1つの小さなことをこなしてこそ達成される

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |

どうありたいか?自分を動かす原動力とは?

思えばずっと「お金を得るため」に仕事をしてきたと思う。
そのために毎月何冊もの本を買い、様々なサイトで情報を収集して、それを仕事に生かして来た。

しかし巨大な本棚におさめられた本はここ数ヶ月手が付けられていないし、仕事に生かせるサイトも随分見ていない。今までは自分の得意分野で仕事をして成功しよう、そればかり考えていたと思う。

自分の脳に喜びを与えて、かつ人々の脳にも喜びを与えて、かつそれで多くの収入が得られるとしたらそれほど幸せな生き方はない、今はそう思う。無理なことや好きでもないことを今までは「努力」という幻想でごまかしてやってきたが、その努力の行き先が全く見えなくなると「努力」の幻想の化けの皮がはがれてきた。

いったい自分はどうありたいのだろう?何をしたいのだろう?どうすれば自分を価値ある存在として思うことができるだろう?という問いに回答はいつもない。

あるのはどうすればいいのだろう?どうやって生きていけばいいのだろう?という手段に対する回答だけだ。家族の生活を守り、生き甲斐のある仕事を見つけて、多くの収入を得る。本当に明確な回答だ。しかし、これでは自分の脳は喜ばない。全然燃えない。

40歳になり10年後、つまり50歳への目標をたてるときに色々と考えさせられる。自分のありかた、自分の価値を感じる状態とは何か、そういったものが何よりも大切に感じてくる。それは外へ向けられた思考ではなく、内面に向けられた思考である。もちろん対外的要因がない訳でもないがこの年になると「自分の価値を決めれるのは自分だけ」ということが身にしみてわかってくる。なので自分の自分への評価をどう高められるかが最も重要なのである。

生き甲斐、使命、天職、そういったものを正直感じたことがなく「それがないのは不幸ですね」とある同僚に言われたときは正直落ち込んだ。多くの人が30歳を過ぎるとそういうものを持って生きているんだ、と思ったからである。

ただ与えられた任務を自分の能力を最大限に生かしてこなし、それによって学校や会社から評価され、それが自分の価値だと思って来た人間がある日それに価値を見いだせなくなったとき、真剣に悩むようになる。早い人は10代で悩むのだろう。遅い人は死ぬまで悩むことなく生を終えるのだろう。


高度経済成長期には価値は社会から与えられていた。だから悩みあれどこうした悩みは少なかったのだろう。現在は価値が多様化しているので「自分自身で価値を見いだせない人種」はどこに寄り添っていいのかまったくわからず路頭に迷う。

詰め込みの教育→標準に従った生産を行うことが人材そして企業の価値であった時代から発想/考える教育→新しいものを生み出すことが人材そして企業の価値である時代になった。海外の企業や人材の圧力が日に日に増す中で従来の価値を持っている人や企業はその圧力に押しつぶされて社会的にも存在することが危ぶまれる。新しいものを生み出し、そこに仕組みを作り、一握りの新しい発想をする人や企業と多くの従来的価値をもった人や企業がその中で活動する。そしてあたらしい仕組みを発想して実現することに喜びを見いだせない人間はどんどんとピラミッドの下層へ追いやられる。

「金になることならないこと」と「仕組みを作ることに喜びを見いだせるか出せないか」は全く別問題なのだがこれからの時代、それがある程度比例すると思われる。

原動力となる金の流れ、処理を遂行する機械や人の流れ、価値を生み出す情報の流れ、そしてそれらを統括する指揮の手法、そして最後に重要なことはそれを行う目的/理念。これらを大曲的に俯瞰できる能力、そしてそれを実現することに喜びを見いだせる人や企業が幸せを手にできるようになるだろう。

理念は志であって行動する理由であり、人や社会のあるべき姿を望む心であり、そう思えるように自分を保つための指針でもあるから魂に等しいくらいに重要である。その理念が土台にあって仕組みを実現する様々な思考や行動が行われるのである。


だから生きる意味を考えても何もでないが、

「どうありたいか」

この問いの解を見つけることは資格を取得したり技術を習得するよりも大切である。というより順番が逆で「どうありたいか」の解なしに無謀に走り出すことは路頭に終わることとなる。

10代、20代なら無駄な経験も意味があるが40代になってある程度のことを経験をしてその経験を生かさずに同じ過ちを繰り返しているのははっきり言って愚かであり、哀れである。

最初の問題に戻るが「どうありたいか」問いにいつも回答はない。というかそう簡単にはでないのである。だから、何よりも優先してそれを真剣に考える。40代にもなって使命感のない人間が最優先で行わなくてはいけない理由はここにあるのである。



関連記事
スポンサーサイト

思想 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<正直に生きること | HOME | Macでデフォルトのアプリケーションを変更する>>

この記事のコメント

コメントの投稿















コメント非公開の場合はチェック

この記事のトラックバック

| HOME |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。