Getting Things Done!

大きな夢は目の前にある1つ1つの小さなことをこなしてこそ達成される

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ネガティブな発言に対してどのように対処するのがいいのか?

ネガティブな発言、これはリアルでもネットの世界でも自分に降り掛かるものです。これをどのように扱えばいいのでしょうか。

反論や攻撃、泣き寝入りや悲観、色々な反応があると思うのですが。

一番いいのは「じっとその感覚を味わう」ことです。

投げかけられたネガティブオな発言は「それ自体」たいした効力がないことを知っておく必要があります。例えばその発言が自分ではなく「第3者」に投げかけられたと思ってください。そうすると相当気が楽になりますよね。

ただ、自分に投げ掛けられたときに「自動的に連鎖的に反応してしまう癖」があって自分でそれを制御ができないことがその発言に対して自分をコントロールできなくしてしまうわけです。

そしてネガティブな発言に連鎖的に反応してしまう癖は「最初の衝撃の痛み」から逃れようとすることで起こります。これは例えて言うなら「その痛み」を自分では処理できずに誰かになんとかしてもらおうとして泣きわめく「小さい子供」と非常に似た傾向なのです。「だって、だって!えーん、えーん」です(笑)

つまり最初の衝撃をぐっと我慢してただ「痛み」として感じ続けるとその「痛み」は必ず治まります。そしてそこから連鎖が起こらなければ「恨み」や「悔しさ」や「悲しみ」ではなく「単なる痛み」だけとなります。

そして「痛み」としてとらえられるととても冷静に次からはこの痛みに出会わない行動を取るようになります。

この「痛みを味わう」ことはスパーリングのようなもので、慣れで我慢できるようになります。ちょうどこの動画のように何度も何度もそれを経験することで強くなる感じですね。



喧嘩や口論は感情のともなうの殴り合い、格闘技は純粋な殴り合いです。
そしてどちらも「自尊心」という筋肉と精神力を日頃から鍛えておくことで「痛み味わえる」ようになるのではないかと思っています。


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正直に生きること

2006年12月8日の下書きのままになっていた記事です。今から約4年前、36歳の時のものです。今はバンジージャンプする気分にならずに正直に生きているような気がします。正直に生きることが身に付いたのか、図太くなったのか、それとも無意識に自分をごまかしているのか分かりませんが(笑)そのとき素直に感じたことを残しておくのって大切かもしれません。だって今では改めてこういうこと考えませんからね。



去年からの僕が心がけていること。
それは…

 「正直に生きること」

これってはっきりいって、

 □□□ 難しい □□□


正直とは何か? これも難しい。

僕にとっての正直。
それは…

 □□□ うそをつかないこと □□□

そして

 □□□ 自分の心に素直に行動すること □□□


1つ目も実践すると難しいんだけど、

それ以上に2つ目は死ぬほど辛いときがある。
まるでバンジージャンプを飛ぶ瞬間のように…

行動への一歩がすごく怖い。


だから必然的に「正直に行動できていない」緊張した期間が
存在するわけです(笑)


例えば、
「いらっ」としたときにそれを素直に表現すること。
そして相手に伝えること。それが上司だったら?

 できる?


「好き」って思った相手にそれを素直に伝えること。

 できる?


でもこれを一歩踏み出してやってみる。

 バンジ~~、ジャ~~ンプ


で、すごい痛い目に会うこともある。

例えようのない後悔。
なぜ行動することへのブレーキがしっかりとかかっていたか

 □□□ はっきりと理解する反省の期間(笑) □□□


でも、でも、すっごくへこんで落ち込んだりするんだけど、

その反面、「正直に生きれた」という爽快感がある。

妄想の中に生きなくてもいい、ちゃんと行動してはっきりと現実を知った、
多分体験した人でないと分からない感覚。

迷いがない。ちゃんと行動して結果を受け止めたから。


この先も僕はきっとバカみたいに正直に生きていくと思う。

うそをつかず、
自分の心に素直に行動して。


で沢山痛い目にあうんだろうなぁ(笑)








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どうありたいか?自分を動かす原動力とは?

思えばずっと「お金を得るため」に仕事をしてきたと思う。
そのために毎月何冊もの本を買い、様々なサイトで情報を収集して、それを仕事に生かして来た。

しかし巨大な本棚におさめられた本はここ数ヶ月手が付けられていないし、仕事に生かせるサイトも随分見ていない。今までは自分の得意分野で仕事をして成功しよう、そればかり考えていたと思う。

自分の脳に喜びを与えて、かつ人々の脳にも喜びを与えて、かつそれで多くの収入が得られるとしたらそれほど幸せな生き方はない、今はそう思う。無理なことや好きでもないことを今までは「努力」という幻想でごまかしてやってきたが、その努力の行き先が全く見えなくなると「努力」の幻想の化けの皮がはがれてきた。

いったい自分はどうありたいのだろう?何をしたいのだろう?どうすれば自分を価値ある存在として思うことができるだろう?という問いに回答はいつもない。

あるのはどうすればいいのだろう?どうやって生きていけばいいのだろう?という手段に対する回答だけだ。家族の生活を守り、生き甲斐のある仕事を見つけて、多くの収入を得る。本当に明確な回答だ。しかし、これでは自分の脳は喜ばない。全然燃えない。

40歳になり10年後、つまり50歳への目標をたてるときに色々と考えさせられる。自分のありかた、自分の価値を感じる状態とは何か、そういったものが何よりも大切に感じてくる。それは外へ向けられた思考ではなく、内面に向けられた思考である。もちろん対外的要因がない訳でもないがこの年になると「自分の価値を決めれるのは自分だけ」ということが身にしみてわかってくる。なので自分の自分への評価をどう高められるかが最も重要なのである。

生き甲斐、使命、天職、そういったものを正直感じたことがなく「それがないのは不幸ですね」とある同僚に言われたときは正直落ち込んだ。多くの人が30歳を過ぎるとそういうものを持って生きているんだ、と思ったからである。

ただ与えられた任務を自分の能力を最大限に生かしてこなし、それによって学校や会社から評価され、それが自分の価値だと思って来た人間がある日それに価値を見いだせなくなったとき、真剣に悩むようになる。早い人は10代で悩むのだろう。遅い人は死ぬまで悩むことなく生を終えるのだろう。


高度経済成長期には価値は社会から与えられていた。だから悩みあれどこうした悩みは少なかったのだろう。現在は価値が多様化しているので「自分自身で価値を見いだせない人種」はどこに寄り添っていいのかまったくわからず路頭に迷う。

詰め込みの教育→標準に従った生産を行うことが人材そして企業の価値であった時代から発想/考える教育→新しいものを生み出すことが人材そして企業の価値である時代になった。海外の企業や人材の圧力が日に日に増す中で従来の価値を持っている人や企業はその圧力に押しつぶされて社会的にも存在することが危ぶまれる。新しいものを生み出し、そこに仕組みを作り、一握りの新しい発想をする人や企業と多くの従来的価値をもった人や企業がその中で活動する。そしてあたらしい仕組みを発想して実現することに喜びを見いだせない人間はどんどんとピラミッドの下層へ追いやられる。

「金になることならないこと」と「仕組みを作ることに喜びを見いだせるか出せないか」は全く別問題なのだがこれからの時代、それがある程度比例すると思われる。

原動力となる金の流れ、処理を遂行する機械や人の流れ、価値を生み出す情報の流れ、そしてそれらを統括する指揮の手法、そして最後に重要なことはそれを行う目的/理念。これらを大曲的に俯瞰できる能力、そしてそれを実現することに喜びを見いだせる人や企業が幸せを手にできるようになるだろう。

理念は志であって行動する理由であり、人や社会のあるべき姿を望む心であり、そう思えるように自分を保つための指針でもあるから魂に等しいくらいに重要である。その理念が土台にあって仕組みを実現する様々な思考や行動が行われるのである。


だから生きる意味を考えても何もでないが、

「どうありたいか」

この問いの解を見つけることは資格を取得したり技術を習得するよりも大切である。というより順番が逆で「どうありたいか」の解なしに無謀に走り出すことは路頭に終わることとなる。

10代、20代なら無駄な経験も意味があるが40代になってある程度のことを経験をしてその経験を生かさずに同じ過ちを繰り返しているのははっきり言って愚かであり、哀れである。

最初の問題に戻るが「どうありたいか」問いにいつも回答はない。というかそう簡単にはでないのである。だから、何よりも優先してそれを真剣に考える。40代にもなって使命感のない人間が最優先で行わなくてはいけない理由はここにあるのである。




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正直に前向きの姿勢を保つ

仕事の話。

今とてもとても

シンドイ

時期なわけです。


今年の4月~5月にかけて僕は2度倒れました。
寝る時間がない忙しさ。入院してしまうほど体力を消耗していました。
でもそのときは「何をすべきか」明確にわかっていました。
だからやるべきことをやればいい。今思えば「恵まれている状況」でした。

今はというと、

先が見えない、目標が見えない

そういう中で判断しながら進んでいかなければいけない、そういったしんどさがあるのです。

倒れたときより何倍もシンドイのです。


役員達が自分の想定と違う決断をするイライラ、
本当に今やっていることをやり続けていっていいのかという不安、

毎日がこういった自分からでるネガティブ思考野郎との戦いです。
こういうことを放っておくと俗にいう「腐った状態」になってしまい、
もうこうなったら手の打ちようがありません。

そうはいっても、
やさくれて投げ出したくなることは日常茶飯事(笑)絶望的になることさえあります(涙)

でも、
誰かや何かのせいにしたらその時点で負けなんです。
自分が変えることが出来ないと思うもののせいにしたら終わりなんです。


最後の砦は自分の正直で前向きな姿勢、なのですから。

自分が今の会社で働き続けていくと決めている限りすべては自分の責任です。
当たり前だけど「頭で考える人」ほどわかっていないことが多い。

すべて自分の責任であれば、


「誰のせいにできるというのですか?」


社会のせい、環境のせい、上司のせい、あげればなんだってできます。

お膳立てされたレールの上をうまく進めるからと自分には能力がある、と過信している人がいます。
そういう人は逆境にたたされるとたいてい何かのせいにします。

はい、呼びました、そう、僕のことでした。。。

基本やノウハウがあることは僕くらいの年になれば当たり前です。
なのでお膳立てされた環境で目標を達成することはそれほど大変なことではありません。

ですが、描いているシナリオがことごとくうまくいかないときに「腐らずに」
自分の舵をどうとっていけるか、突き詰めていうと

どう正直に前向きの姿勢を保てるか、

が勝負になります。

だから、
気遣いは腹の底からでていないと感じない限りしない。
そんなことしていたら時間の無駄です。
でも気遣いをしたくなる環境に自分を持っていくことには積極です。

そしてやらなくてはいけないことを最大限に減らしてやりたいことをやる時間を作る。
自分の時間はお金と同じくらい大切にするよう心がけています。

端から見ているとだっらーとしているようにも見えるし、狂ったように仕事をしているようにも
みえることがあるかもしれませんが、どちらも僕の大切な時間なのです。

腐ることなく、正直に前向きの姿勢を保つ

これは日々の実践(訓練?)で習慣化するしかなく、頭で理解してもまったく無駄なのです。







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自分はどうありたいのか

自分自身、自分を取り巻く環境をどのようにしたいのか?

尽きるところ

自分はどのような気持ちで毎日を過ごしたいのか?

これが今の僕にとって一番大切な「道しるべ」なんです。


具体的な夢や目標はそれに達することが第一ではなくて
その達成したときのイメージを日々自分が想像することで自分がどう感じるかが重要なんです。

なのでそこへ向かう今の自分、そのために日々努力をする自分、それによって
自分を取り巻く環境や人たちが生き生きとして見えてくることが夢や目標の大切さなの
ではないかと感じています。

思うようにいかないときの今を嘆くことは目標を達成できないことよりもマイナスなんです。

もちろん毎日色んなことが起きるので愚痴をこぼしたりやめて逃げ出したいときも
多くあります。

でもいつもあの質問に立ち返ってみるのです。
「自分はどうしたいのか?どうありたいのか?」と。

前向きに生きようとしてもいやなことが起こるのはなぜでしょうか?
いやなことが起こるのは人のせいでしょうか?自分のせいでしょうか?
いやなことがいやなことと感じるのはなぜなのでしょうか?

そんなことを考えても答えがでることは少ないんです、実は。


いやなことを避けて生きるのか、それともそれに動じない自分になるのか。
どちらかを決めて行動に移すのみなんです。

で、結果は自然と自分に返ってきます。
そして答えは言葉としてではなくて経験として自分に残ります。
それはどちらの選択肢をとったとしてでもです。

すべてを克服して強い自分になるだけがよいかというとそうでもなくて
苦手な物知ってそれに出会わない智恵を身につけることもまた1つの
道として大いにあり、そう思うのです。

大切なのは日々の生活を生き生きさせ続けること、
これが目標や夢を達成する大きな秘訣ではないのでしょうか。


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